前夜祭
明日を前に言葉にしておきたいのは、
今までじょんの作った曲を、じょんが作ったから好きだと思ったことはそんなになかったのかもしれないってこと。
SHINeeについては、(語彙力の欠片もないけど)ほんと好きだから、SHINee好きSHINeeの曲最高じゃない?って脳が判断してるのは否めない。(もちろん冷静になって、「あり得ないほどこの曲が好きだわ」ってなることもいっぱいある。)
でも、初めて『BASE』をまるっと聞いたとき、言い方正しいのか全然わかんないけど、どこにもじょんを感じなかった。ましてやSHINeeのメンバーだなんてことは思い出しもしなかった。もちろん、じょんの言葉でじょんの声で表現されてる以上は、「ここのじょんが好き」とかはなるけど、何か曲とじょん自身をまったく別で捉えてた。
聞いてるときに見える情景に、正直じょんはいないことの方が多かったって言い方の方が近いのかな?
よく、歌手にとって曲は自分の子どもみたいなものって言うけど、だとしたら、
すごく素晴らしい人に出会ったときに「こんなすごい人の親ってどんだけ素晴らしい人なんだろう」って思うことはあっても、「こんなすごい人の子どもなら皆愛せます」とはならないみたいなもんかな?(もうよく分からない笑)
とにかく、私にとって彼のつくる曲は、じょん自身とは別に、もう私自身の世界の一部になってる。自分が言いたい言葉であり、誰かに言って欲しい言葉であったり。
やっぱりほんとに、じょんはストーリーテラーだったと思う。
だからこそね。
あれから、いまだに一曲も聞けてない。
一言も、音として耳に入れられてない。
自分を形成してきた曲に、分かるはずのないじょん自身を探して勝手に当てはめて、これまでを否定しちゃいそうな気がして。
というか単純に怖い。自分を責めそうで。
何千回もぐるぐるしてる。好きな音楽ぐらい好きに聞けば良いっていう考えと、好きな音楽だからこそ変な意味を押し付けたくないっていう考えと。
臆病でごめんよ呆れておくれよ。笑
遺作。最後のアルバム。NEWアルバム。
何かもうどれでもいいや。例えどれだったとしても、知らない曲を聞く直前は、いつだってちょっと怖いのはきっと同じだ。
もう決して増えるのことのないじょんの作品を思うか。もしくはちょっと増えすぎちゃった、ましてやさらに増えちゃいそうな予感さえする自分の宝物を思うか。
ものは考え方なんですね。
明日。聞けるかはまだわかりません。
でも買います。
どうでもいい話だけど、CDショップで見つけてCD買うの、めちゃくちゃ好きなんです。
誰が買うねんっていう地元のCDショップで発掘したやつ、旅行中のど田舎のBOOKOFFで見つけたすじゅのソリソリ。笑
買った瞬間の興奮、全部覚えてる。
だから、今回もそうさせてもらいます。
なんだかんだ、楽しみなんです。